戦後、池田小菊の発言

  • 『奈良日日新聞』昭和20年10月15日、2面

より以上の文化 政治的教養を
【小説家】
市内鍋屋町小説家池田小菊さんは語る
自由の■鐘 新日本の全土に美しく清らかな響をのこして鳴り響きました、さあ新しい朝です、私達は静かに来るべき日本のデモクラシーに耳を心を傾けませう先づトピツク婦人参政権の問題は——、結構です、しかし今の過渡期ですから一回や二回(の)失敗するかも知れませんが、此れはどうでもいゝ長き本来■人を思へば、しかし此れを契機として全日本(の)婦人はより以上の文化政治的教養を養はねばなりません、一夜漬けではとうていだめです、此れには私達も是非協力したいと思ひます、婦人文庫もよし、新生婦人問題の結成等急速に実現しなければならない事です、先づそれからですね

※不読箇所、欠損箇所は( )で補ったが、不明箇所は■で代替した。一部意味の通じない箇所があるが、原紙のまま。

  • 『奈良日日新聞』昭和20年10月17日、2面

文学の本道に還れ
【文学】池田小菊女史の綴る新生日本の文芸(復)興は——
   ◆
今後の文学の方向はと問はれゝば私はまづ(チ)ヤンバ(ラ)もの作家群自身のハラキリを勧告したい、チヤンバラものが文(学)の仲間にはいるかどうかは別の話として一度の戦争をかうも誤つた方向へ押し流してし(ま)つた大きな一つの力は何といつても戦争に便乗したチヤンバラものゝ跋扈だつたことはいふまでもない、彼及(び)彼女達が軍部と手を握つてどんなふう(に)戦争讃美の従軍記をかき、兵隊をかき、銃後の女性(を)扱つて来たかそれは私がいふまでもなく明白なこ(と)であらう、彼らは恥知らずにもそれに戦争文学といふ銘を打つて来たのだが可笑しなことに(、)どれ一つを取つてみ(て)も、それはとろけたやうな甘い主観ものばかりで文学にとつて最も大切な客観性が全く失はれてゐる、文壇では立派に左官級であるべき筈のものまでが野戦部隊の子供のやうな部隊長(、)揉み手でへい〳〵してゐる輩など見られたものでないであらう
破れて陣を退くとき連隊旗(を)置き去りにした兵隊がゐたら軍紀(は)彼に死刑を宣告するであらう、そのやうに、作家にも死にかへて守らなければならない最後の一線文学者の気魄といふものがなければならない、手(や)骨を折られ、脚の骨を折られても、文学者であるからは、背骨だけはまつすぐ立てゝゐたい、だいたいこのごろの作家(達)はずるい者も多いのだから、昨日まで戦争讃美文学をかいて来た同じそのペンで、今日からは甘い恋物語でもかいて、涼しい顔をしてゐるやうなものも出(る)ことであらう、だが、さうい(ふ)文学は今後どうなつてゆくか、これは暫く面目(い)見学だ(と)思ふ、(戦)争で名を売り金を儲けて来た作家たち(で)、ハラキリの出来るのはよいが、出来ないのは、まあ、こ(の)冬(に)那智の瀧にでもうたれて、文学者らしい修行することですよ

※不読文字、欠損箇所は( )で補った。

  • 【補足】小川晴暘の発言

疎開の国宝美術品 早急に古都へ復元せよ
【美術】古美術研究家小川晴暘氏(に)聴く
終戦と共に当然戦争中に疎開された回覧美術品は復帰されねばならぬのに未だこれがなされてゐないのは一体どうしたことであらう、今こそ日本的仏教美術を広く世界の各国に紹介する唯一の機会なのである、東大寺興福寺、博物館、正倉院等の美術品或ひは法隆寺中宮寺の仏教建築物、これ等を持つなら(は)世界的な古美術の都である、進駐軍アメリカ兵の中にも之等仏教美術の研究家が多数居り彼等の中にははるばる東京や京都からやつて来る人もある、無論我が(国)美術、建築家達も今後無数に来るだらうし罹災しなかつた唯一の古都として蒼穹に各美術品を公開しなければならぬ

(『奈良日日新聞』昭和20年10月17日、2面)※不読文字、欠損箇所は( )で補った。

【目次】亀井勝一郎『大和古寺風物誌』(天理時報社、1943/昭和18年初版)

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画像は架蔵本より。表紙は上村占魚。発行の天理時報社とあわせて以下のリンクを参照。

挿入図版写真は大鍬四郎。大鍬は、「昭和21年の大和タイムス(現奈良新聞)創刊時から平成4年の退社まで45年間にわたり写真記者として報道写真を撮り続けてきた」人物で、平成4年(1992)12月15日没(『奈良県年鑑 1995』、奈良新聞社、1994、p.292)。

異同

現在入手可能な新潮文庫本には見られない「帰依と信仰」があるなど、本文異同箇所多。新薬師寺「薬師信仰について」を例にとってみれば(以下、ルビ省略)、

新潮文庫(2015年12月84刷改版、p.223)

ところで金堂の薬師如来は、前述のごとく弘仁時代のみ仏であるが、眼病平癒を記念するため、とくにその眼は大きく創られてある。まるで異人のようだ。半眼に宿る仏願の深さはない。眼病平癒された故に仏眼も大きくしなければならぬというのは、後代僧侶と仏師の理におちた解釈なのではなかろうか。霊験を人為的に誇張するのは、信心のゆかしさとは云えまい。

▼初版(p.229)

ところで金堂の薬師如来は、前述のごとく弘仁時代のみ仏であるが、眼病御平癒を記念するため、とくにその眼は大きく創られてある。まるで異人のやうだ。半眼に宿る仏願の深さは失はれてしまつた。どうしてこんなことになつたのだらうか。私は拝観するたびに疑問に思ふ。 聖武天皇ならびに光明皇后の御祈念あそばされたのは香薬師の典雅と鷹揚のみ姿であつたであらうに。眼病御平癒された故に仏眼も大きくしなければならぬといふのは、後代僧侶と仏師の浅はかな解釈なのではなからうか。霊験を人為的に誇張するのは、果して信心のゆかしさであらうか。

のごとくである。また、ほかに同項末尾 、現行では「かかる信仰あって、はじめて無双の仏体も造顕されたことは既に述べたとおりである」の一文で終わっているが(p.228)、初版本は以下のように続く。

かゝる御念願にあつて、はじめて無双の仏体も造顕されたことは既に述べたとほりである。わが皇統において、屡々病人貧窮者を救済され給うたのは、すべてこの大悲願の尊き伝統に他ならない。たとへば 孝謙天皇天平宝字元年十二月に発し給へる御詔勅のごとき、かゝる御真意をあますところなく示されてゐると云へやう。即ち続日本紀巻第二十によれば、

「十二月辛亥、勅すらく、普く疾病・及び貧乏の徒を救養はむが為に越前国の墾田一百町を以て永く山階寺の施薬院に施す。伏して願はくは、此の善業に因りて朕と衆生と与に三檀の福田を来際に窮め、十身の薬樹を塵区に蔭り、永く病苦の憂を減して共に延寿の楽を保ち、遂に真妙の深理に契ひて自ら円満の妙身を澄さむことを。」

 畏くも「朕と衆生と与に」と仰せられて久遠の寿に万民もろとも参入し給はんと念じられたのである。とくにこの御詔勅を引用し奉つたのは、畏れ多くも 昭憲皇太后が明治二十四年四月現在の慈恵学園に賜つた令旨の中に、

天平宝字の勅の如く病苦の憂ひを減じ共に延寿の楽を保たしむべき仁恵をなさん事を望む」

 と仰せられてゐるからであつて、いまに至るまで飛鳥白鳳天平歴代の御念願は連綿とつづいてゐるのである。(pp.234-235)

このあたり、他箇所とあわせて検証を要する。

亀井(亀井勝一郎 - Wikipedia)が昭和41年(1966)11月に亡くなっていることから、青空文庫では2017年に『大和古寺風物誌』が公開されている。入力・校正に使用したのは「2015(平成27)年12月5日84刷改版」本。

ただし、大鍬や入江泰吉らが撮影した写真図版があることから、国立国会図書館デジタルコレクションで館内限定公開となっている。

なお、「2015(平成27)年12月5日84刷改版」の新潮文庫本カバーは入江泰吉の写真、口絵に小島啓佑氏と小川光三氏の写真を挿む。小島氏は新潮社所属のカメラマン、小川氏は奈良の古仏・古美術写真の先駆者である小川晴暘の三男。

奥付

昭和十八年四月十五日印刷/昭和十八年四月二十日発行 五、〇〇〇部/大和古寺風物誌 (停)参円/著者 東京府下吉祥寺二七六一 亀井勝一郎(ルビ:カメヰカツイチラウ)/発行者 奈良県丹波市町三島 岡島善次/印刷製本所 奈良県丹波市町川原城 天理時報社 西奈①/発行所 奈良県丹波市町川原城 天理時報社 一一九五〇一/配給元 東京市神田区淡路町二ノ九 日本出版配給株式会社

第2版未見。第3版(昭和18年10月)では「昭和十八年十月二十日三版発行(一〇、〇〇〇部)」、定価も「定価 (停)二円九十銭/特別行為税拾銭/売値 参円」となっている。

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目次

斑鳩
 飛鳥の祈り ・・・・・・ 2
 救世観音 ・・・・・・ 18
法隆寺
 初旅の想ひ出 ・・・・・・ 38
 金堂の春 ・・・・・・ 49
 宝蔵殿にて ・・・・・・ 55
 鳥仏師 ・・・・・・ 66
中宮寺
 思惟の像 ・・・・・・ 78
 天寿国曼荼羅 ・・・・・・ 91
法輪寺
 荒廃 ・・・・・・ 98
 虚空蔵菩薩 ・・・・・・ 107
薬師寺
 春 ・・・・・・ 114
 白鳳の光 ・・・・・・ 125
 塔について ・・・・・・ 146
唐招提寺
 秋 ・・・・・・ 152
 円柱と翼 ・・・・・・ 158
東大寺
 天平の花華 ・・・・・・ 166
 大仏殿にて ・・・・・・ 189
 不空羂索観音 ・・・・・・ 202
 講堂の址 ・・・・・・ 216
薬師寺
 高畑の道 ・・・・・・ 220
 薬師信仰について ・・・・・・ 226
 帰依と復活 ・・・・・・ 237
後記 ・・・・・・ 359

図版

図版目次
 夢殿(口絵)
 斑鳩の里 ・・・・・・ 28
 中宮寺の庭 ・・・・・・ 92
 法輪寺山門 ・・・・・・ 93
 薬師寺東塔(朝) ・・・・・・ 144
 薬師寺東塔(夕) ・・・・・・ 145
 唐招提寺金堂 ・・・・・・ 156
 講堂と鼓楼 ・・・・・・ 157
 金堂円柱 ・・・・・・ 164
 東大寺講堂の址 ・・・・・・ 204
 高畑の道 ・・・・・・ 220

  • 初版本「図版目次」頁末尾に「撮影 大鍬四郎」。第3版(昭和18年10月)では「撮影 大鍬四郎/装幀 上村占魚」。
  • 初版本における図版の向きはノドが上、小口が下になっているが、第3版ではその逆。
後記(pp.259-262)

後記
 はじめて大和の古寺を訪れたのは、昭和十二年の秋であつたが、それから毎年春と秋には年中行事のやうなつもりで出かけて行つては気のむくまゝに巡り歩いてゐた。その間、古寺や古仏に対する私の気持にも様様起伏はあつたが、すべて本文ならびに、巻末に附した「帰依と復活」といふ覚書の中にしるしておいたので、こゝにくりかへす必要はあるまい。ともあれこの六年間における私の巡礼記は本書にまとめられてあるわけだ。尤も私は古寺の一つ一つを詳細に語つたわけではない。当然語るべき幾多の古仏や伽藍を残した。といふのは、専門的な美術研究乃至案内書は他にいくらもあるし、私の念願したところはさういふ種類のものと違つてゐたからである。さゝやかながら発心の至情をもつて、また旅人ののびやかな感興をもつて、古寺に対したいといふのが私の願ひだつたのである。
 ところでかういふ本を刊行することが出来たのは、奈良の畏友前川佐美雄君と天理時報社の上田理太郎氏のお蔭である。いままでも時に古寺の感想を発表したこともあつたが、本にまとめることは考へてゐなかつた。偶々前川君を介して上田氏を知りあひ、その懇切な慫慂によつて、昨年の初秋から冬へかけて漸くまとめあげることが出来たのである。はじめの予定では、室生寺当麻寺慈光院など平安朝以後の諸寺もふくめるつもりだつたが、そこまでは及ばず、自分の屡々訪れた、また誰にも親しみふかい著名な寺を、飛鳥白鳳天平まで順を追ふて七寺だけ選び、六年間の思ひ出を参照しながらこゝにまとめあげた次第である。「飛鳥の祈り」「白鳳の光」「天平の花華」の三論文が全篇の骨子となつてゐる。
 前川君には随分御厄介になつた。通りすがりの旅人ならばつい見逃すであらう隠れた風景をみせて貰つたり、普通では拝観をゆるされぬ処まで拝観することが出来たのはすべて前川君の尽力による。東大寺の上司海雲氏にもおめにかゝり、戒壇院や大仏の蓮弁を親しくみせて頂いたし、またこの本のためにと、東大寺史を贈つて頂いた御厚情も忘れられない。
 上田氏も私の我儘な申し出を心よくひきうけて下さつて有難かつた。本書に挿入した写真は、すべて私の希望した場所から、希望した角度に従つて撮影したものであるが、写真に全く無智な私が文章や空想で示すところを、忠実に果してくれたのは上田氏と撮影者の大鍬四郎氏である。写真機を抱へて幾たびも古寺を巡り、再三吟味苦心されたさうである。氏の見事な撮影を載せえたのはこの本の誇りである。なほ装幀は私の若い友人である工芸家の上村占魚君にお願ひした。これも天平雲をといふ私の註文を心よくひきうけて、幾たびも雲を写生し、雲のやうな炎のやうな美しい図案が出来あがつた。諸氏に心から感謝した。
   昭和十八年早春
               著者

【目次】『大和の古文化』(近畿日本鉄道、1960/S35)

  • あとがき
  • もくじ

近畿日本叢書の第一冊目として刊行。

奥付より、

【年記】昭和三十五年九月十六日発行

【編者】近畿日本鉄道創立五十周年出版編集所(代表:村上昭房)

活版印刷】綜芸舎(藪田嘉一郎

【写真印刷】株式会社便利堂(代表者:中村桃太郎)

【製本】株式会社協真社製本所

【発行所】近畿日本鉄道株式会社 

近畿日本叢書全十冊は以下のとおり。

  1. 大和の古文化(1960)
  2. 伊勢の神宮(1961)
  3. 飛鳥(1965)
  4. 法隆寺(1969)
  5. 薬師寺(1965)
  6. 春日大社・興福地(1961)
  7. 当麻寺(1962)
  8. 東大寺(1963)
  9. 唐招提寺(1960)
  10. 室生寺(1963)

同叢書の所蔵館は以下を参照(CiNiiBooks)。

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【目次】『短歌建設』改巻19号

日本近代文学館が改巻19号(1931/昭和6年10月)を所蔵。
27×19.5㎝、12p。「昭和六年十月十五日発行(毎月一回十五日発行)大正十三年三月十八日第三種郵便物認可・第百三輯・改巻第十九号」。奥付は次のとおり。

「昭和六年十月一日印刷/昭和六年十月十五日発行/十月号/編輯兼発行人 奈良市紀寺東口町七七八 清水信義/印刷所 奈良市西寺林町五 近東商店 電話八四〇番/発行所 奈良市紀寺東口町七七八 短歌建設発行所 振込大阪五二九三九番」。

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【目次】松井富一『国際的出版都市建設の夢—広島図書の現在と将来—』(広島図書、1949/S24)

20.8×15.1㎝。
▼表紙「国際的出版都市建設の夢/広島図書の現在と将来/広島図書株式会社 松井富一」。扉(青色地料紙)「国際的出版都市建設の夢/広島図書の現在と将来/(著者近影) [広島図書株式会社/広島印刷株式会社] 取締役会長 松井富一」。
▼序文(1)「知友松井富一君の理想に寄す/(著者近影) [広島商工会議所会頭/芸備銀行副頭取]伊藤豊/……/昭和二十四年五月」
▼序文(2)「松井富一君の夢に寄せて/(著者近影) [日本教育学会会長/広島文理科大学長]文学博士 長田新/……」。
▼「九州の中心たる風丘と、近畿の中心たる京阪神の中央に位し、中国地方の首都であると主に、世界の公園瀬戸内海を隔てて四国を抱擁して」いる位置にあることに加え、「かつての軍港呉は、今や貿易港として更生し、竣工近き広島港と相並んで、世界海上交通の要衝となるの日も近き将来でありましょう」という国外とのつながり、「山陽線の中枢であり、芸備線宇品線可部線の起点たる」陸上交通の要衝でもあることから、出版流通拠点として、また「国際的出版都市」としての広島の可能性に言及する。この遠大な構想を支えていたのは、昭和21年10月創刊の小学生用教育雑誌『銀の鈴』の盛況と、みずから切り拓いていった全国への販売網の成功——「北海道の果から九州の端まで全国を、広島、福岡、大阪、東京の四総局に区分し、各総局に各担当の県と地方とを案配し、各県をまた幾つかの地域に分って責任販売者をおき、雑魚一匹逃さぬような販売網」——があるようだ。
教育雑誌『銀の鈴』については広島市立図書館の紹介サイト等を参照。
目次
 序文(伊藤豊) ・・・・・・ (1)
 序文(長田新) ・・・・・・ (4)
第一章 出版都市としての広島 ・・・・・・ 1
 一、文化国家と出版 ・・・・・・ 1
 二、広島の地理的条件 ・・・・・・ 7
 三、広島の文化的条件 ・・・・・・ 10
 四、広島の経済的条件 ・・・・・・ 12
 五、原子爆弾広島市 ・・・・・・ 15
第二章 広島図書の発足と躍進 ・・・・・・ 18
 一、広島印刷の復興と充実 ・・・・・・ 18
 二、図書出版の輝かしい業績 ・・・・・・ 22
 三、全国直売網の完成 ・・・・・・ 38
 四、各種文化事業の振興 ・・・・・・ 43
 五、広島図書の現況と社風 ・・・・・・ 47
第三章 広島図書の遠大なる構想(国際的出版都市建設の夢) ・・・・・・ 51
 一、既刊出版物の充実 ・・・・・・ 51
 二、新刊図書雑誌の出版 ・・・・・・ 53
 三、出版事業の世界的進出 ・・・・・・ 56
 四、工場設備の大々的拡充 ・・・・・・ 58
 五、販売網の整備拡充 ・・・・・・ 64
 六、各種文化事業の振興 ・・・・・・ 67
 七、国際出版都市の建設(広島図書の抱く偉大なるユートピア) ・・・・・・ 68
奥付
昭和二十四年五月二十六日印刷/昭和二十四年六月一日発行/【非売品】/著者 松井富一/発行兼印刷者 大澄君人/印刷所 広島印刷株式会社 広島市南観音町614番地/発行所 広島図書株式会社 広島市南観音町613番地

【目次】フレデリック・スタール『朝鮮仏教』(東洋民俗博物館、1931/昭和6)

23.5×15.9㎝。謄写版。表紙に「朝鮮仏教」。見返しに新刊紹介あり。同所に「お断り」一紙貼付。序文は「お札博士 フレデリック、スタール」。内題「朝鮮仏教 あやめ叢書第二巻/スタール博士著/九十九豊勝訳」。
CiNii Booksによれば滋賀県立大学(朴文庫)一館のみの所蔵となっているが、本記事は大阪大谷大学澤田文庫所蔵本による。同書前付に「呈上 澤田四郎作様 九十九豊勝」(ペン書き)の書き入れがある。
訳者の九十九豊勝は黄人とも号した人物で、東洋民俗博物館の初代館長。同館は「日本珍スポット100景」ホームページにも紹介され、
また奈良の観光雑誌『月刊大和路ならら』166号(2012.7)で「愛すべきエロじじい」として特集が組まれたりするなど(http://www.narara.co.jp/sub/1207.html)、「性」に関する民俗とのかかわりで紹介される人物である。
原著者のフレデリック・スタールについては、ひとまずWikipediaフレデリック・スタール - Wikipedia)等を参照されたい。九十九がスタールとはじめて会ったのは1915/大正4年のことで、通訳募集の広告がきっかけであったという。そののち幾度もスタールの国内紀行に同道するようになり、九十九の興味研究はスタールの影響のもとで育まれていった。九十九の人となりは『ならら』がくわしい。
澤田四郎作南方熊楠など彼の人脈や活動は多方面にわたっており、地域研究の文脈においてきちんと論じなければならない人物のひとりである。
【見返し「新刊紹介」】
新刊紹介/コロール酋長息エラケツ氏口述 宮武正道氏訳編/[南洋]パラオ島の伝説と民謡/厚表紙・美装本・参考図数種挿入・実費頒価七十銭・送料六銭/発行所 東洋民俗博物館 振替大阪七二六五三番
「コロール酋長息エラケツ氏」とはパラオ島出身のアテム・エラケツのことで、「天理教による第一回の内地留学生として来日し、1929(昭和4)年〜1933(昭和8)年の4年間にわたって天理教の教理と日本語を学んでいた」という(奈良大学博物館展示パンフレット『好奇の人・北村信昭の世界『奈良いまは昔』展』、奈良大学、2011、p.11)。訳者の宮武正道(1912−1944)は奈良県出身の言語学者で、エラケツとは宮武が主催していた「奈良エスペラント会」で出会ったようである(前掲展示パンフレット、p.11)。宮武については、黒岩康博「宮武正道の「語学道楽」—趣味人と帝国日本—」(『史林』94巻1号、史学研究会、2011.1)等を参照。
【見返し貼付「お断り」】
お断り/あやめ叢書第一巻『絵馬』を出してから早速第二巻を出す筈の処、何分にも第一巻は一冊六拾銭を要し二百冊製作について会員も少く、こゝまで六冊を見ると約三百円の損失となるので、この度は止むを得ず謄写版にして少しでも損失の過重を軽減した次第につき申込各位の御諒承を願ふ次第であります。必ず六冊全部は完成しますからどうぞ御安心の上長く御待ちの程を願ひます。   —編者より—
【序文】
    I have known Mr. Toyokatsu Tsukumo well for fifteen years and have watched his work with keen interest.    He has been a diligent student and has collected much curious material in folk-lore, and matters of taste.    I am glad that he is undertaking to publish the result of his study in Ayame-sōsho.    I believe the series will be of interest and permanent value.
                            Frederick Starr
          Ōimachi, October, 12.1930
私は過去十五年間九十九豊勝君の伴侶として彼の興味深い仕事を監視して来た。彼は勤勉な学徒であり又土俗学上の驚ろくべき多くの資料と興味深き物品とを蒐集してゐる。私は彼が研究の結果をあやめ叢書として公刊される計画を欣びとする。この叢書が趣味深きものであることゝ不変の価値あるものである事を私は固く信ずるものである。
   一九三〇ー一〇ー一二
          —大井町の寓居にて—
  お札博士 フレデリック、スタール
【跋文】
 この原著 KOREAN BUDHISM はお札博士 FREDERICK STARR Ph,D の著書にして数回の渡鮮によつてものせられたものであつて多数の写真版を挿入され且つ歴史の巻、芸術の巻、現状の巻の三部に分れてゐるが本書には唯だ芸術の巻のみとせり。
 翻訳は大正の末、昭和の始頃既でに成して居たるも今日まで其の機を得ず、荏苒延びゐたるものにして又訳するに当つて仏語と朝鮮固有名詞の和訳には誠に非才なる訳者を困憊せしめたるものにして野田静枝嬢の少からぬ助力の労に因つて成りたるものにして爰に同氏に感謝の意を表します。
          ——昭和六・一二・一——
【巻末広告等】
 □あやめ叢書
一、絵馬 [スタール博士著/九十九豊勝訳] 既刊
二、朝鮮仏教 [スタール博士著/九十九豊勝訳] 既刊
三、日本土俗玩具 未刊
四、日本俗信集 未刊
五、大隅異聞抄 未刊
六、性的神巡礼 未刊
一、石敢当私考 未刊
二、日本に於ける割礼の研究 未刊
三、桃太郎の三跡 未刊
四、フジヤマ 未刊
五、興福寺絵馬 未刊
六、琉球へ土俗行脚 未刊
 □配本規定
一、六冊ヲ以テ第一期完成。
一、分割配本ノ需ニ応ズ。
一、六冊配本送料共参円也。
一、送金ハ振替ニテ発行所ヘ。
【奥付】
「昭和六年十二月十五日印刷/昭和六年十二月三十一日発行/(非売品)/不許複製/編輯兼発行人 九十九豊勝/印刷人 後田秋子/印刷所 日本芸術社/発行所 奈良県生駒郡あやめ池一二九九 東洋民俗博物館 振替大阪七二六五三番」
【目次】
序文 ・・・・・・ (1)
本文(芸術の巻) ・・・・・・ 1
跋文(本文末尾) ・・・・・・ (21)
巻末広告 ・・・・・・ (22)

【目次】小谷方明『蔵書印の話』(和泉郷土文庫、1947/昭和22)

16.6×11.9㎝。活版刷り。小谷所蔵の蔵書印を各ページ(ノンブルなし)に捺す。CiNiiBooksによれば、所蔵館は大阪大谷大学図書館と同志社大学の2館のみ。本記事は、大阪大谷大学澤田文庫所蔵本による。

 

著者の小谷方明には『和泉古瓦譜』(1932/昭和7)、『和泉暦』(1955/昭和30)などの編著書がある。小谷家は鎌倉時代から続いているようで、その居城は現在、小谷城郷土館となっている。

小谷家の文書については、「和泉国大鳥郡上神谷豊田村小谷家文書」として『史料館所蔵資料目録』36集に公開されている。以下のウェブサイトを参照されたい。

 

印刷者の石曾根民郎は『川柳しなの』を運営していた川柳作者で、師は麻生路郎とのこと。石曽根は2005/平成17年没であるが、小谷や麻生との関係については、ウェブ上に遺されている石曽根のブログ「川柳しなの 書誌に句と随想(石曽根民郎のブログ)」からうかがえる。

 

石曽根のコレクションは現在、松本市博物館におさめられている。

 

【刊記】

「昭和二十二年五月十日印刷/同年同月十九日発行/著者蔵印作者 堺市外上神谷村豊田 小谷方明/印刷者 松本市大名町 石曽根民郎/発行所 堺市外上神谷村豊田 和泉郷土文庫」

 

【目次】

日本の蔵書印 ・・・・・・ 1

蔵書印の歴史 ・・・・・・ 2

蔵書印文の使ひ方 ・・・・・・ 3

蔵書印文の種類 ・・・・・・ 4

蔵書印の形態と書体 ・・・・・・ 5

蔵書印の印材と印肉 ・・・・・・ 6

白石工房の蔵書印 ・・・・・・ 7