戦後、池田小菊の発言

  • 『奈良日日新聞』昭和20年10月15日、2面

より以上の文化 政治的教養を
【小説家】
市内鍋屋町小説家池田小菊さんは語る
自由の■鐘 新日本の全土に美しく清らかな響をのこして鳴り響きました、さあ新しい朝です、私達は静かに来るべき日本のデモクラシーに耳を心を傾けませう先づトピツク婦人参政権の問題は——、結構です、しかし今の過渡期ですから一回や二回(の)失敗するかも知れませんが、此れはどうでもいゝ長き本来■人を思へば、しかし此れを契機として全日本(の)婦人はより以上の文化政治的教養を養はねばなりません、一夜漬けではとうていだめです、此れには私達も是非協力したいと思ひます、婦人文庫もよし、新生婦人問題の結成等急速に実現しなければならない事です、先づそれからですね

※不読箇所、欠損箇所は( )で補ったが、不明箇所は■で代替した。一部意味の通じない箇所があるが、原紙のまま。

  • 『奈良日日新聞』昭和20年10月17日、2面

文学の本道に還れ
【文学】池田小菊女史の綴る新生日本の文芸(復)興は——
   ◆
今後の文学の方向はと問はれゝば私はまづ(チ)ヤンバ(ラ)もの作家群自身のハラキリを勧告したい、チヤンバラものが文(学)の仲間にはいるかどうかは別の話として一度の戦争をかうも誤つた方向へ押し流してし(ま)つた大きな一つの力は何といつても戦争に便乗したチヤンバラものゝ跋扈だつたことはいふまでもない、彼及(び)彼女達が軍部と手を握つてどんなふう(に)戦争讃美の従軍記をかき、兵隊をかき、銃後の女性(を)扱つて来たかそれは私がいふまでもなく明白なこ(と)であらう、彼らは恥知らずにもそれに戦争文学といふ銘を打つて来たのだが可笑しなことに(、)どれ一つを取つてみ(て)も、それはとろけたやうな甘い主観ものばかりで文学にとつて最も大切な客観性が全く失はれてゐる、文壇では立派に左官級であるべき筈のものまでが野戦部隊の子供のやうな部隊長(、)揉み手でへい〳〵してゐる輩など見られたものでないであらう
破れて陣を退くとき連隊旗(を)置き去りにした兵隊がゐたら軍紀(は)彼に死刑を宣告するであらう、そのやうに、作家にも死にかへて守らなければならない最後の一線文学者の気魄といふものがなければならない、手(や)骨を折られ、脚の骨を折られても、文学者であるからは、背骨だけはまつすぐ立てゝゐたい、だいたいこのごろの作家(達)はずるい者も多いのだから、昨日まで戦争讃美文学をかいて来た同じそのペンで、今日からは甘い恋物語でもかいて、涼しい顔をしてゐるやうなものも出(る)ことであらう、だが、さうい(ふ)文学は今後どうなつてゆくか、これは暫く面目(い)見学だ(と)思ふ、(戦)争で名を売り金を儲けて来た作家たち(で)、ハラキリの出来るのはよいが、出来ないのは、まあ、こ(の)冬(に)那智の瀧にでもうたれて、文学者らしい修行することですよ

※不読文字、欠損箇所は( )で補った。

  • 【補足】小川晴暘の発言

疎開の国宝美術品 早急に古都へ復元せよ
【美術】古美術研究家小川晴暘氏(に)聴く
終戦と共に当然戦争中に疎開された回覧美術品は復帰されねばならぬのに未だこれがなされてゐないのは一体どうしたことであらう、今こそ日本的仏教美術を広く世界の各国に紹介する唯一の機会なのである、東大寺興福寺、博物館、正倉院等の美術品或ひは法隆寺中宮寺の仏教建築物、これ等を持つなら(は)世界的な古美術の都である、進駐軍アメリカ兵の中にも之等仏教美術の研究家が多数居り彼等の中にははるばる東京や京都からやつて来る人もある、無論我が(国)美術、建築家達も今後無数に来るだらうし罹災しなかつた唯一の古都として蒼穹に各美術品を公開しなければならぬ

(『奈良日日新聞』昭和20年10月17日、2面)※不読文字、欠損箇所は( )で補った。